「大衆とデザイン−大衆の意志は設計可能か−」

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Tied Debate 06 「大衆とデザイン−大衆の意志は設計可能か−」 レビュー

2016年12月18日(日)、今年最後のTiedDebate「大衆とデザイン-大衆の意志は設計可能か-」を開催しました。今回はTiedメンバーに加え、ゲストディベーターとして、藤村龍至さん(建築家/RFA)、下山聡さん(下山建築設計室)、垣内光司さん(建築家/一級建築士事務所八百光設計部)をお招きしました。

まずはモデレーターの山口から、なぜ「大衆とデザインー大衆の意志は設計可能かー」という問いなのか概要を説明。五輪エンブレム問題、新国立競技場問題、豊洲市場問題などを例に挙げ、ワイドショーやインターネットによってみんなのためのデザインが揺さぶられる現在の状況を確認しました。そして肯定派(藤村氏、下山氏、垣内氏、志水)と否定派(前川・舩橋・中村)に分かれてディベートをスタートしました。

まず肯定派の立論として、下山さんから青山のコーポラティブ住宅をプレゼンテーションしていただきました。青山のコーポラティブ住宅は、下山さんが36歳の時に出会った奈良の大きな区画を複数の施主、建築家とともに4年以上の歳月と膨大なエネルギーをかけて完成した一つの小さな町。膨大な数のワークショップにより合意形成を生み出していくプロセスはリアリティに満ち溢れていました。特に10の土地の区画とその価格を決めるための自前の計算プログラムは圧巻です。区画の大きさや接道条件、敷地内の勾配などのパラメーターから土地の価格が最適化され、不平等が起きないシステムをみんなで考えていきます。また、中心に据えられた共有広場や、それぞれの建物がバラバラのデザインにならないように定められたデザインしりとり(隣接建物のデザインを引き継ぐルール)など、合意形成のためのメソッドがリアリティを持って語られました。

続いて垣内さんからは青山のコーポラティブ住宅内に建つ下山さんの自邸「オモヤ・ハナレ」をプレゼン。斜面地の環境を活かした美しい住宅が、どのように生まれたのかなどをメンバーとの当時のやり取りを含めて詳しく説明していただく。これまで垣内さんが活動されてきた施主のDIYによる住宅改修プロジェクトと、吉岡賞を受賞したこのオモヤ・ハナレは、これまで筆者にとってそのつながりを想像するのは難しかったのですが、大衆というキーワードを通して活動全体を見渡すと、共通点を見出せるような気がします。さらに興味深いのは、下山さんが名のある建築家ではなく当時24歳の「弱い」設計者に設計を依頼したこと。公共建築の設計に学生WSが組み込まれるのでもなく、巨大な建築家が案を取りまとめるのでもない、そのあいだの存在を媒介にして、みんなでみんなの街を作っています。

続いて藤村さんからは圧巻の150枚プレゼン。タイトルは「大衆の意志は設計可能かという問いに対する「肯定派」−今日的権力と3つの戦略について」。学生による投票行為から建築の設計を線形的に進めて実現した鶴ヶ島プロジェクト、グーグル検索を用いて設計された「google chair」を紹介していただいた後は、テーマに対する的確な指摘。趣旨文の構図が「強い建築家像と弱い建築家像」であることを確認した上で、しかし「昔は強く今は弱い」という定義ではなく、各時代でその時の権力とどのように協調しえたかどうかがポイントで、その権力が時代によって変化しているのだという指摘。丹下健三やザハ・ハディド、新居千秋らがどのように権力と折り合いながら建築を生み出してきたか、1970年代から現在までの時代の流れとともに論じられました。その後現在進行中の大宮駅前おもてなしスペースのプロジェクト、Nursery in Fukuokaのプロジェクトがその潮流の中に位置付けられながらプレゼンテーション。官僚主義→商業主義→匿名という時代の流れの中で、その時々の権力とどのように協調していくか。丹下の権力コース、磯崎の反権力コース、隈の亜権力コース、あなたはどれを選びますか?との問いかけがなされました。

さらにデザイナーの志水からは、インダストリアルデザインにおける大衆の意志の変化についてプレゼンテーション。大きなモデルチェンジをすることなく20年売れ続けたT型フォードに代表される、機能があれば売れた時代から、性能とユーザビリティの向上による競争の時代へ、さらにユーザーエクスペリエンスによるデザインの時代へ変化してきたプロセスを例に、デザインが大衆の意志にアジャストしてきたことから大衆の意志は設計が可能という論を提示。

その後、否定派のプレゼン。奈良文化財研究所の前川からとても重要な指摘がありました。様式主義一辺倒であった建築家のアプローチが、大正期頃からの大衆の出現により、ナショナリズム、リージョナリズム、合理主義という幾つかのアプローチに分化していった。こうしたアプローチは戦後、丹下健三により統合される一方、そこから抜け落ちる大衆的な建築(擬洋風建築、看板建築、町家、長屋、文化住宅etc…)が常に存在する。それらの建築にこそ大衆の意志が映し出されているとすると、歴史的に見ても大衆の意志を設計することは不可能と言えるのではないか、との指摘。さらに、吉阪隆正によるU研究室を引用し、今の時代にこそ作り手を複数化する可能性を再度提示しました。

また、大工の舩橋からは、自身が携わった屋敷の修繕の過程、さらに谷中に建つ朝倉彫塑館を紹介しつつ、すべてを計画するのではなく、旦那(建築主)の要望に都度アジャストしていくスタンスの可能性が提示されました。デザイナーの中村からは、伊勢志摩サミットのロゴマークの公募で最終候補に残った14作品を紹介。デザインが大衆に寄り添うことによって起こるクオリティの低下について力強く警鐘を鳴らし、双方の立論が終了。

休憩を挟んでディスカッションへ。藤村さんからは否定派前川が言う大衆的建築はあくまでもメインストリームではないという反論。今和次郎のようなカウンターとしての建築家像ではなく、社会や建築の歴史に対する批評性を持ちながらメインストリームで建築を作るスタンスが語られました。また、垣内さんの作品群が前川の提示する大衆的建築と重なる(御柱プロジェクト(擬洋風建築)、ウェルカムファサード(看板建築)など)ことがディスカッションの中で発見されたことはとても興味深く、垣内さんの作品が大衆的であることが浮かび上がったと思います。藤村さんからは、垣内さんの建築が大衆的である一方で、建築単体や空間にも強度があるということが重要とのコメント。

議論の終盤で、今回のTiedDebateを経て抽出されるキーワードとして「リアクション」という言葉を挙げました。藤村さんが時代の課題にリアクションしつつ、批評性を帯びた形態を生み出すことで、建築の系譜にもリアクションしようとしていること、さらに垣内さんの発言にあった与えられた状況に反応することから想像を超えるものを作りたい、という発言があったからです。しかし藤村さんからはリアクションといってしまうと単なるポピュリズムに陥ってしまうという指摘。代わりに「学び」という言葉が提示されました。垣内さんのDIYプロジェクトでは施主自身が学びながら空間をつくる。また下山さんの青山のコーポラティブ住宅では住民が建築を通して膨大な学びを得ています。建築的民度が高い人を都市に放つことで社会が豊かになるというのは垣内さんの言葉です。また藤村さんからは、建築こそが社会全体の民度をあげることができるという言葉もありました。こうして「大衆は学ぶ、大衆から学ぶ」がキーワードとして浮かび上がりました。

懇親会では、タイドディベートは毎回スッキリせずに帰る、との指摘を頂きました。大衆という言葉の定義やキーワードの抽出の方法など、あいまいな言葉で議論が発散してしまったかもしれません。しかし、正解の無い問いを立て、対立軸を明確にすることで議論の場をアップデートすることが一つの大きな目的としてありました。どちらも正解の対立軸はモヤモヤを生み出してしまいますが、持ち帰って思考を深めてもらえればありがたいと思っています。

ゲストのみなさま、ご登壇いただきありがとうございました。また寒い中ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

(山口陽登)

「大衆とデザイン−大衆の意志は設計可能か−」

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