見方と居方を多義化するリノベーション
1970年大阪万博で整備された万博記念公園。日本庭園内に建つ中央休憩所の再整備計画。ではなく、初めは老朽化した飲食店「和み」の魅力をアップさせたいという依頼だった。最小限の手を加え、最大限の効果を得られることが求められていると解釈した。
しかし、それにしては大きい建物である。約1000㎡のフロアに、広縁が心字池に向かってフローティングしている。飲食店は古さが目立ち、内装は陳腐化している。飲食店の内部に限定して仕上げの改修することも考えたが、大きな広縁と日本庭園が向かい合う関係を作ることが主題の建築である。家具や建具などの部分的な介入によって、日本庭園と中央休憩所の関係性に一石を投じたい。そのように考えるに至った。
中央休憩所は、増田友也研究室によって設計された。当時の航空写真を見てみると、芝山ー心字池ーお祭り広場ー太陽の塔ー中央ゲートが、南北に美しく力強い軸線を形成している。庭園、建築、モニュメントが手と手を取り合って、都市的なスケールの背骨を形成している。岡本太郎・丹下健三・造園家の田治六郎の間に、増田友也が堂々と2本のラインを描いている。その一本が中央休憩所だ。
当時の青焼きの図面を目を凝らして見る。配置図や平面図には心字池を中心に広がる庭園が精緻に描かれている。休憩所と名前がついているが、実のところ、休憩所の機能をまとった「視点場」としての機能を求められていたことがわかる。H型に組まれたメガストラクチャーとしての4本の柱は、建物中央に東西に一直線に並び、屋根と床を支えている。日本庭園への眺望、太陽の塔にむかう軸線、その両方の邪魔にならないように、中立を貫いている。軸線を遮らないように柱と屋根と床が設計され、それらが太陽の塔と心字池を直接的に結びつけている。
改修前の既存建物に目を向ける。太陽の塔に向かって、注意深く設計されたガラスの水平連続窓には無頓着にカーテンが設置され、常時閉ざされている。さらに視点場としての広縁を尊重するために透明に設計された広縁側の外部建具は、出入り口以外はフィックスのアルミサッシに無頓着に改修されていた。床と屋根の建築は、壁と化している。
カーテンを取り外し、太陽の塔への視線を確保すると同時に窓を開ける行為をアフォードする。さらに、広縁側のアルミサッシは撤去し、新たに連続引き戸を設置することで、飲食店、広縁、日本庭園が同じ空間として感じ取れられるようにした。日本庭園に吹く風が、飲食店にまで吹き込む。連続引き戸によって一体化された広縁と飲食店。カーテンの撤去によって再度手を繋ぐことができた太陽の塔。そのように再編集された周辺環境を、より多義的に感じ取れられるように、大きな床に自由曲線を描くベンチを設計した。日本庭園に向かって正対する見方を、全方位に向かって多義化する。広縁に佇む、飲食店で飲食する、その二つの居方をより多義化し、庭園やシンボルとの全方位的で動的な関係性を生み出す。
動的な建築に生み変える上で、重要な役割を担うのが屋台研究家・下寺孝典氏によって手がけられた3つの屋台である。1000㎡の大きな建築の中を、屋台が自由に動き回る。変化し続ける日本庭園の風景に呼応するように屋台は動き、広縁は生き生きと使われる。
他にも日本庭園内にも存在する竹、木、和紙などの自然素材を、厨房カウンターや壁面の仕上げに使用したり、小さなアイデアを積み重ねている。大掛かりなリノベーションではなく、かといってちょっとした模様替え程度とは言えないような、部分的な介入を細やかに積み重ね、気づけば、建設当初のコンセプトがきちんと保存されながら、別の意義が重ねられる。そして風景は間違いなく更新され、より歓迎的な建築に生まれ変わる。そのようなリノベーションの手つきは、この縮小成熟社会において、今後さらに建築家に求められていくだろう。
| 所在地 | 大阪府吹田市 |
|---|---|
| 用途 | 休憩所(イベントスペース)+喫茶 |
| 構造・規模 | 鉄骨造 地下1階 地上1階建て |
| 建築面積 | —㎡ |
| 延床面積 | 1,412.64㎡ |
| 敷地面積 | 1,274,822.37㎡ |
| TEAM |
プロジェクトマネジメント:宮武裕右
デザインパートナー::山中史郎(ハイカルチャーデザイン事務所) 屋台デザイン・制作:下寺孝典(TAIYA) 施工:丹生 |
| PHOTO | KENJI TOGO |